食道がんの転移を知らされた日|「きっと早期」と思っていた私に届いた電話【夫の食道がん闘病記・第7話】

夫の食道がん闘病記

第2章|迷いながら選んだ治療

※この記事は、夫が食道がんと診断された当時、私たちが実際に経験したことをもとに書いています。
※治療や病気の経過は患者さんによって異なります。
※医療についての判断は、主治医や医療機関にご相談ください。

かかりつけのクリニックから紹介を受けて10日後。

夫と私は、専門的な診察を受けるため、がんセンターへ向かいました。

クリニックでは「早期」と聞いていたこともあって、私はまだ、

「大丈夫。きっと早期に違いない」

と思っていました。

「きっと早期」と思って、がんセンターを受診

クリニックの先生からは、食道の表面を削るだけの手術だと聞いていました。

そのため私は、がんがほかの場所に転移しているとは考えていませんでした。

紹介された消化器内科で、先生の診察が始まりました。

先生からの問診に、夫が一つずつ答えていきます。

食事のことや、最近体調に変わったことはないかなど、思っていた以上に詳しい質問がありました。

私は、夫が食べたものを戻すことがあることや、ときどき声がかすれることを先生に伝えました。

がんセンターの診察室で、消化器内科の医師と向き合う夫婦の水彩イラスト

想像していた診察とは、少し違う時間が流れていました。

食道の表面を削るだけの手術で済むと思っていたのに、なぜここまで詳しく聞かれるのだろう。

問診を聞いているうちに、

思っているより深刻なのかもしれない。

そんな不安が胸をよぎりました。

そして、もう一つ不安になったことがありました。

この日は造影CT検査を受ける予定ではなかったのですが、先生から、その日のうちに検査を受けるように言われたのです。

※造影CT検査とは、血管から造影剤という薬を入れ、X線を使って体の中を詳しく調べる検査です。がんの広がりや、リンパ節・ほかの臓器への転移がないかなどを調べるときにも行われます。
病院の検査室に設置された円形のCT装置と検査台を描いた水彩イラスト

診察の流れが、私の予想とは違う方向へ進み始めていました。

予定になかった検査を、その日のうちに受けることになった。

そのことも、私の不安を大きくした理由の一つでした。

造影CT検査を終え、帰りの電車で転移を知らされた

造影CT検査を終え、私たちは病院を出ました。

駅へ向かう道では、夫が前を歩き、私はその後ろをついていきました。

もし、転移が見つかったらどうしよう。

そんな不安が頭から離れませんでした。

けれど、一番不安なのは夫のはずです。

そう思うと、どんな言葉をかければいいのか分からず、私は何も話せませんでした。

ただ黙って、夫の後ろを歩いていました。

造影CT検査のあと、夫が前を歩き、妻が少し離れて後ろを歩く場面

予定外の検査を終えた帰り道。私の不安は消えないままでした。

夫は早足で歩いていました。

後ろを歩く私との距離は、だんだん離れていきました。

夫の表情は見えず、何を考えているのかも分かりませんでした。

今振り返ると、夫も「どうして自分が、がんに」と思っていたのかもしれません。

そして、帰りの電車に乗りました。

車内で並んで立っていたとき、がんセンターから電話がかかってきたのです。

電話に出たのは私でした。

そこで知らされたのは、

夫のがんに転移が見つかった

ということでした。

クリニックでは早期のがんと聞いていたのに、転移しているなんて。

私はすぐには受け止められませんでした。

そのあと、私は夫に電話を代わりました。

夫も「えっ?」というように、驚いた様子でした。

夫はそのまま先生と話をしていました。

電車内で夫が電話を受け、その横で妻が不安そうに見守っている場面。がんセンターから転移を知らされた帰り道の様子。

帰りの電車の中で受けた一本の電話が、私たちの気持ちを大きく揺らしました。

電話を終えた夫の顔を見ると、私には少し不安そうに見えました。

私は夫に、

きゃんばぁば
きゃんばぁば

「きっと大丈夫やよ」

と声をかけました。

けれど、その言葉は、私自身にも言い聞かせていたのだと思います。

電話を切ってから自宅に着くまで、二人とも何も話しませんでした。

帰宅後、がんセンターからもう一度電話がありました。

翌日の外科受診についての連絡だったと思います。

紹介を待っていた10日間への後悔

転移を知らされたその日、私はクリニックからがんセンターを受診するまでの10日間を振り返っていました。

「早期のがん」と聞いていた私は、安心して紹介された日を待っていました。

けれど、その間に別の病院を訪ね、夫の診断や治療について、ほかの医師の話を聞くこともできたのではないか。

自宅の食卓で考え込む眼鏡の女性。背景には病院での記憶と、日付を記したカレンダーが浮かぶ水彩イラスト。

あの日から、過ぎた時間の見え方が変わりました。

そう思うと、悔しくてたまりませんでした。

その気持ちは、今も変わりません。

次の話では、翌日の外科診察で「限りなくステージ4に近い、ステージ3です」と告げられ、治療方針が急速に決まっていった日のことを書きます。

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この記事を書いた人 きゃんばぁば|がん その先へ
自身の乳がん治療を経験し、その後、義理の妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えてきました。
義理の妹とは長く親しくしていて、私にとっては妹のような存在でした。
このブログでは、患者として、家族として経験したことを、自分の言葉で記録しています。その後の暮らしや、これからの生き方についても書いています。
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