第2章|迷いながら選んだ治療
前日の帰りの電車で、がんセンターから「転移が見つかった」と知らされた私たち。
帰宅後には、翌日、外科を受診するよう連絡がありました。
クリニックでは「早期のがんで、ステージ1か2」と聞いていたのです。
それが、翌日の外科診察で……。
食道がんでは、がんの深さやリンパ節などへの転移の状態から判断されます。ステージ1・2は、ステージ3・4と比べて進行度が低い段階です。

先生は、これから何を話すのだろう。診察室には、張りつめた空気が流れていました。
外科の診察室で告げられた、予想以上の病状
翌日、夫と私は、がんセンターの外科を受診しました。
診察室に入ると、先生はパソコンに向かって座っていました。
先生は画像を確認していましたが、私にはどこか焦っているように見えました。
私たちは、用意された二つの椅子に並んで座りました。右側が夫、左側が私でした。

画面から目を離さない先生を前に、私たちは次の言葉を待っていました。
先生は私たちの方に向き直り、話し始めました。
説明は、おおよそ次のような内容でした。
「転移しています。リンパ節です。確認できるだけで3つあります。すぐに治療に入ります」
さらに、がんの進行度についても説明がありました。

「限りなくステージ4に近い、ステージ3です」
そんなに悪い状態なの?
私自身も、以前に乳がんを経験しています。そのときはステージ2でした。
ところが夫は、限りなくステージ4に近いステージ3。
がんの種類は違っても、ステージが示す進行度の違いはすぐに理解できました。
だからこそ、自分が告知を受けたとき以上に気が動転し、体が震えたのです。
隣に座っていた夫は、何も言わず、先生の話を聞いていました。
私はそっと夫の顔を見ました。

あの日、夫が見つめていた先には、どんな思いがあったのでしょう。
夫は固まっているようにも感じました。
突然知らされた病状を、夫もどう受け止めていいのか分からなかったのかもしれません。
「ほかの治療方法はないのだろうか」
続いて、先生から今後の治療について説明がありました。
まず抗がん剤治療を行い、その後、手術へ進むという方針でした。
夫は「やるしかないな」というような返事をしていました。

病状を知らされたその場で、話はもう次の治療へと進んでいました。
前日の電話からこの日の診察までに、私は食道がんの本をもう一度読み返し、転移がある場合の5年生存率も調べていました。
目にしたのは、かなり厳しい数字でした。
ほかに治療方法はないのだろうか。そのことが頭から離れませんでした。

知りたかったのは、数字の先にある、夫のためにできることでした。
私自身も乳がんで抗がん剤と放射線治療を経験しています。
だからこそ、「私が質問して、選択肢を探さなければ」という強い思いがありました。
怖さはありましたが、思い切って先生に尋ねました。

「化学放射線治療はどうでしょうか?」
すると先生からは、「あれはダメ」というような返事がありました。

私が知りたかったのは、できないという結論ではなく、その理由でした。
なぜダメなのか、理由の説明はありませんでした。
私が乳がんの治療を受けたときは、どの先生も時間をかけて丁寧に説明してくださいました。
それだけに、今回の返事には驚きました。
「この病院は違うの?」
「あれはダメ」という答え方に、私は失望しました。
もう一度尋ねても、詳しい説明はしてもらえないのではないか。
そう感じて、それ以上質問することができませんでした。
今でも、「なぜあのとき化学放射線治療ではダメだったのか」、その理由をきちんと説明してほしかったと思っています。
あのとき、私の質問に丁寧に答えてくれていたら……。
そんな思いが、今も残っています。
次の第9話では、手術後の生活について先生に尋ねたこと、そして食道がんの本を読んで生まれた迷いについて書いていきます。
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この記事を書いた人 きゃんばぁば|がん その先へ
自身の乳がん治療を経験し、その後、義理の妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えてきました。
義理の妹とは長く親しくしていて、私にとっては妹のような存在でした。
このブログでは、患者として、家族として経験したことを、自分の言葉で記録しています。その後の暮らしや、これからの生き方についても書いています。
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