【夫の病気:第24話】食道がんの手術後 初めての診察室、主治医との対話とこれからの治療

夫の病気

術後、はじめての診察室へ

術後、初めての診察室に夫と共に向かいました。

きゃんばぁば
きゃんばぁば

手術を終えてからは

回復に専念していたので、主治医に会うのは久しぶりです。

がんセンターに着き、電光掲示板に番号が表示された瞬間。
名前を呼ばれたその時「いよいよその時が来たんだ」と心の奥で覚悟を決めました。

この日の診察では、病理の検査結果と、これから始まる治療の方針について説明を受けることになっています。

「どんな結果が待っているんだろう…」
不安が押し寄せてくる一方で、心のどこかでは

「これから希望へとつながる話が聞けるかもしれない」
という小さな期待も抱いていました。

病院診察室の写真

病理の結果を聞くことが怖かったです。

診察室での会話〜まずは抜糸から

診察室に入ると、主治医はパソコンの画面を確認していました。

「痛い?」開口一番の問いかけに、まだ手術の傷がうずく日々が頭をよぎります。

夫が「毎日痛いんです」と答えると、

「じゃあ、抜糸しようか?」
落ち着いた声に、張り詰めていた空気がふっとやわらぎました。

処置が終わったあと「傷跡、きれいですね」と声をかけてくださり、夫は少しほっとしたような表情に。

その顔を見て、私の胸の緊張もすっとほどけていきました。

術後の説明〜「大体取れた」という言葉の重み

きゃんばぁば
きゃんばぁば

抜糸が終わったあと、夫は真剣な表情で尋ねました。

「どうなんでしょう、病理の結果や術後のがんの様子は?」

いよいよ、術後の病理とCTの結果についての説明が始まります。

CTの画像を見る医師の写真

気になっていた術後のCT検査結果

主治医は、切除した食道の標本を画面に映しながら、静かに口を開きました。

がんは大体は取れています。ただ、大動脈にくっついていたがんの一部は残っています。」

この言葉は、手術の日も聞いていました。

それでも、改めて診察室で耳にすると、その言葉が心にずっしりと響きました。

「取りきれなかったということは、これからの予後にも関わってくるんだ…」そう思いました。

夫が「リンパはどうでしたか?」と尋ねると主治医は.淡々と..

リンパ節は22個取り、そのうち4個にがんが見つかりました。反回神経(はんかいしんけい)の付近に3個、お腹に1個です。」

きゃんばぁば
きゃんばぁば

私は、その数を聞いて少し戸惑いました。

大動脈にくっついたがんを取りきれなかったのは仕方がないとしても、リンパ節は、できる限り取り除いてほしかった…。それが正直な気持ちでした。

もちろん、医学的な判断は私にはわかりません。
リンパを過剰に切除すると、日常生活に大きな支障が出てしまうのかもしれません。

けれど、その説明はありませんでした。

大体取れた」という言葉。
それは思っていた以上に重く、私たちの心に深く残りました。

これからの治療計画

きゃんばぁば
きゃんばぁば

これからの治療について、主治医から具体的な説明を受けました。

まず最初に行われるのは、手術で取りきれなかったがんやリンパ節に対する「化学放射線治療」です。これは、抗がん剤と放射線を同時に使い、残っているがんを徹底的に叩くことを目的としています。

放射線治療室の写真

私は、放射線治療にかけるしかないと思いました。

主治医からは
「この治療の効果がなければ、次の治療の意味が変わってきます」と説明がありました。

その言葉を聞いて、私たちは「この治療に全てが、かかてっるんだ」と強く感じました。

効果の判定について尋ねると、
「治療が終わってから1〜2ヶ月後にCTを撮り、その時点で評価します」
と教えていただきました。

その後は、抗がん剤と免疫療法を組み合わせ、体に残っているがんを可能な限り消し去ることを目指すとのこと。

「もし、効果が確認できれば、免疫療法だけを続けていきましょう」
という説明もありました。

ただし、治療の途中で新たな転移が見つかった場合には、その時点で計画を大きく変更せざるを得ないことも伝えられました。

PDL-1 について検査と心の揺れ

 

きゃんばぁば
きゃんばぁば

術後に行われていたPDL-1検査について、私は主治医に尋ねました。

結果は「1%未満」。
夫のがんでは、PDL-1の発現がとても少ないとのことでした。

PDL-1とは、がん細胞が免疫から逃れるために出すタンパク質のこと。
この数値は、免疫療法(特に免疫チェックポイント阻害薬)が効きやすいかどうかを判断する、一つの目安になります。

一般的には、この値が高いほど免疫療法が効きやすく、生存期間が伸びる可能性があると言われています。

だから「1%未満」と聞いたときは正直ショックでした。

主治医はこう言いました。

「食道がんに限っては必ずしもこの値通りではありません。少なくても効果が出る人もいれば、多くても効果が出ない人もいます。」

その説明に、少し救われた気がしました。

さらに、この検査は切除した一部の組織で行なったものなので、今、体に残っているがん細胞にPDLー1が発現しているかまではわからない、とのことでした。

その説明を聞いて私は、

「術前の治療で、抗がん剤とオプジーボ(免疫療法)を併用したのに、大動脈にくっついたがんは小さくならず残ってしまった。そのときと同じ薬を使って、本当に効くのだろうか…」
そう思いました。

心の不安を見透かしたように、主治医はこう言いました。
「術前の抗がん剤で効果があったので、なんとかなるのでは」

それでも、私は素直に安心することができませんでした。

夫の願い「がんと共存できるのか?」

診察の途中、夫が主治医に尋ねました。
がんと共存できますか?

診察室、医師と患者の写真

夫は「がんと共存でもいいから生きたい」と私にも言いました。

主治医は少し考えてから、静かに答えました。
「それは、今後の治療次第ですね。」

残っているがんが消え、転移もなければ根治の可能性はある。

けれど、治療が効かなかったり、別の場所に転移が見つかれば、緩和ケア中心に切り替える必要がある…そう説明を受けました。

つまり、現時点では見えていないがんが、これから姿を現わす可能性もあるということ。

 

きゃんばぁば
きゃんばぁば

それが一番怖い、と私は感じていました。

説明を聞いたあと、夫は言いました。
どんな治療にも耐えるので、いい状態で生活できるように治療してください。」

けれど、その後の主治医の言葉は、どこか言葉をにごしているように聞こえました。

「やっぱり厳しい状況なんだろうな」と思いながらも、それ以上は聞けませんでした。

さいごに

夫がいま一番辛いのは、術後から続く右胸の痛みです

心配になって私は尋ねました。

きゃんばぁば
きゃんばぁば

「この痛みはいつまで続くのでしょうか?」

主治医の答えは「あと1ヶ月くらい続くと思います。」

人によっては時間とともに和らぐこともあれば、長く痛みが残る場合もあるそうです。

その説明を聞いて少し不安になりましたが、痛み止めのお薬でコントロールできることを願うしかありませんでした。

手術を乗り越えた後も、こうした痛みや不安と向き合いながら過ごす日々。

それでも、少しでも前に進んでいこう…そう思っています。
でも正直、術後の生活は大変だなと感じています。

 

※本記事は夫の食道がんの体験をもとに記しています。同じ病名でも症状や治療法、経過は人によって大きく異なります。診断や治療に関する判断は、必ず主治医や専門医にご相談ください。

 

きゃんばぁば
きゃんばぁば

次回は放射線科の先生との診察についてお話しします。

 

この記事を書いた人
きゃんばぁば|乳がんサバイバー/家族の闘病サポーター
乳がんを経験し完治。妹の膵がんや夫の食道がんを家族として支えた実体験をもとに、
「患者と家族の視点」で記事を書いています。
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