【第45話】夫の食道がん闘病記|お通夜と葬儀。私が夫にかけた最後の言葉は「いってらっしゃい」

夫の食道がん闘病記

※この記事は、夫を食道がんで見送った私自身の体験をもとに書いています。病気の経過や看取り方、葬儀の形、悲しみの受け止め方は、ご家族によって異なります。

※この記事は、ひとつの家族の記録として残すものです。

前回の記事では、夫との約束を守るために一般葬を選び、悲しみを心の奥に抱えたまま、お通夜の会場に立つまでのことを書きました。

今回は、その続きです。

張り詰めた気持ちのまま迎えたお通夜と、翌日の葬儀。夫との最後の一日までを書いていきます。

夫の食道がん闘病記は、今回でひとつの区切りとします。

お通夜で知った、夫が生きてきた証

この日、夫を偲んで、本当にたくさんの方が会場へ足を運んでくださいました。

会社でお世話になった方、地域でつながりのあった方、親族、友人。次々と届くお花は、会場を埋め尽くすほどでした。

夫に手を合わせ、静かに涙を流してくださる方々。

あちらこちらから、すすり泣く声が聞こえてきます。

その光景を見ながら、私は家族として知らなかった夫の姿を、初めて目にしたような気がしました。

家では、いつもの夫であり、いつものお父さん。

けれど夫は、仕事を通して、地域を通して、たくさんの人とのつながりの中で歩んできたのだと思います。

きゃんばぁば
きゃんばぁば
夫は、すごい人だったんだ。

家族の知らないところにも、夫が積み重ねてきた時間や、大切にしてきたご縁がたくさんありました。

夫がどれほど多くの方に慕われ、大切にされていたのか。

悲しみの中で、そのことをあらためて知った夜でもありました。

お通夜の会場で多くの参列者と花に囲まれ、夫が多くの人に慕われていたことを実感するきゃんばぁばのイラスト

たくさんの方が足を運んでくださった、お通夜の会場。

一般葬にすると決めたときは、これでよかったのだろうかと迷う気持ちもありました。

けれど、夫が築いてきたご縁の中で、皆さまと一緒に見送ることができた。

あの日の光景を思い返すと、一般葬という形を選んでよかったと、今は思っています。

闘病中も支えてくださった会社の皆さまへ

なかでも、夫が勤めていた会社の皆さまには、闘病中から何度も温かな言葉をかけていただきました。

夫だけでなく、私たち家族のことまで気にかけ、支えてくださったのです。

治療が続く中でいただいた励ましやお気遣いは、夫にとっても、そばで支える私たち家族にとっても大きな力になりました。

闘病中からお通夜まで会社の方々に支えられたことへの感謝を描いた4コマ漫画

夫が仕事を通して築いてきたご縁は、見送りの日まで続いていました。

そしてお通夜にも、多くの方が夫とのお別れに来てくださいました。

夫が病気になってからも、その後も変わらず気にかけてくださったこと。

葬儀の日にも、皆さまで参列してくださったこと。

その一つひとつを思うと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

夫は、家族だけで生きてきたのではありません。

たくさんの方と出会い、支えていただきながら、自分の人生を歩んできた。

そのことを、私はお通夜の場であらためて感じました。

お通夜の挨拶で伝えたかった「ありがとう」

お通夜では、前日に何度も読み返して整えた挨拶文を胸に、皆さまへご挨拶をしました。

そこには、私自身の乳がん治療のことも少しだけ書き添えました。

2013年、私が乳がんと告げられ、不安の中で治療を続けていた頃、夫はずっと隣で支えてくれていました。

大好きだったゴルフや地域の活動もそっと控え、私が治療に向き合えるように。

そして、家族の「いつもの暮らし」が変わらないように。

夫は多くを語らず、毎日の生活の中で私を支え続けてくれました。

そうして二人三脚で歩み、2024年1月、長く続いた主治医による経過観察が終了しました。

私はその説明を「乳がんは完治した」と受け止め、夫と二人で心の底からほっとしたことを覚えています。

「本当に長かったね。これからは、やっと二人の時間をのんびり楽しめるね」

そう笑い合っていた矢先、今度は夫に食道がんが見つかりました。

ようやく夫婦の時間を取り戻せると思っていたときの告知。

今振り返っても、悔しさは消えません。

乳がん治療中に支えてくれた夫への感謝と、お通夜の挨拶でその思いを伝える場面を描いた4コマ漫画

けれど、お通夜の場で伝えたかったのは、悲しみだけではありませんでした。

私をずっと支えてくれた夫への「ありがとう」。

そして、夫を励まし、支えてくださった皆さまへの「ありがとう」。

夫に代わって、その感謝を自分の言葉で伝えられたことは、私にとって忘れられない時間になりました。

映像に残した、夫と家族の時間

お通夜の会場では、制作会社にお願いして一緒に作ったDVDを流しました。

夫との思い出の写真、家族で出かけた日の写真、何気ない日常の一枚。

たくさんの写真を見返しながら、一枚ずつ選んでいきました。

そこに重ねた曲は、JUJUさんの「やさしさで溢れるように」。

夫が家族に向けてくれた優しさ、何気ない毎日の中にあった温かな時間、そして私たち家族から夫へ伝えたかった感謝。

そのすべてが、この曲に重なるように感じました。

写真を選ぶ時間は、懐かしさだけではありません。

もう戻ることのできない日々を目の前にして、胸が苦しくなることもありました。

それでも、夫と過ごした時間を形に残しておきたかったのです。

思い出の写真を選び、夫との時間を映像として残すき女性のイラスト

一枚一枚の写真を見返しながら、家族で過ごした日々をたどりました。

完成した映像の中には、病気になる前の夫、家族と笑っている夫、私たちがよく知っているいつもの夫がいました。

その姿を見ながら思いました。

夫と過ごした時間は、確かにここにあった、と。

このDVDは、作って本当によかったと思っています。

葬儀に参列できなかった方が、後日、自宅へお参りに来てくださったときにも見ていただくことができました。

言葉だけでは伝えきれない夫の人柄や、家族と重ねてきた時間。

それを映像として残せたことは、夫を見送ったあとも、私たち家族の心を支えてくれています。

最後まできちんと見送れるだろうか。葬儀の朝

たくさんの方に見守られ、お通夜を終えることができました。

けれど、私の心はまだ張り詰めたまま。

ひとつ大きな時間を越えたはずなのに、安心することはできませんでした。

翌日は葬儀。夫を送り出す、本当の最後の日です。

翌朝、葬儀場へ向かいながら、何度も考えていました。

夫が本当に、この世からいなくなってしまう。

最後まで、きちんと見送れるだろうか。

夫との約束を、最後まで守れるだろうか。

そんな思いを抱えたまま、会場に着きました。

葬儀の朝、静かな会場に着き、不安な気持ちのまま立つ女性ののイラスト

葬儀の日の会場は、お通夜とはまた違う静けさに包まれていました。

同じ場所に立っているのに、この日は空気の重さまで違って感じられました。

今日は、夫を送り出す日。

そう思うだけで、胸の奥が静かに締めつけられました。

葬儀で流す曲には、「道」を選びました。

それぞれの道の途中で夫と出会い、最後まで見送ってくださった方々のことを思いながら、この曲を選んだのです。

私が夫にかけた最後の言葉は「いってらっしゃい」

葬儀を終え、私たちは火葬場へ向かいました。

ここで、本当に夫を送り出すのだと思うと、胸の奥が締めつけられるようでした。

頭では分かっていたはずなのに、いざその時が近づくと、現実が一気に胸に迫ってきます。

もう夫の声を聞くことはできない。

いつものように顔を見ることもできない。

言いたいことは、たくさんありました。

ありがとう。

よく頑張ったね。

ずっとそばにいてくれて、ありがとう。

忘れないよ。

けれど、火葬場で夫を送り出すそのとき、私の口から出た言葉は、

「いってらっしゃい」

でした。

斎場で最後に夫へ『いってらっしゃい』と声をかける女性のイラスト

火葬場で夫を送り出す、最後の時間。

長い間、一緒に暮らしてきた私にとって、それは朝、出かけていく夫に何度もかけてきた、いつもの言葉です。

「さようなら」ではなく、その言葉が自然に口から出ました。

心のどこかで、またいつものように帰ってきてほしいと願っていたのかもしれません。

家族や親族、そして親しい友人に見守られながら、夫を送りました。

それが私が夫にかけた最後の言葉になりました。

夫を見送りながら、40年近く共に過ごしてきた時間の大きさを、あらためて感じていました。

「忘れないで」を、今の私はこう受け取っている

夫が亡くなる三日前、私に残した言葉があります。

夫
「忘れないで」

その言葉を聞いたときは、胸が張り裂けそうでした。

忘れられるわけがない。

こんなに長い時間を一緒に過ごしてきた人を、どうして忘れられるのだろう。

あのときの私は、ただ悲しみの中でその言葉を受け止めていました。

けれど今は、少し違います。

夫が言った「忘れないで」は、私を悲しみの中に閉じ込めるための言葉ではなかったのではないか。

夫と過ごした日々を忘れず、その時間を支えにして、これからも歩いていってほしい。

今の私には、そんな言葉にも思えるのです。

夫の『忘れないで』という言葉を、今は『生きて』というメッセージとして受け止めていることを描いた4コマ漫画

あの日に受け取った言葉を、時間をかけながら少しずつ自分の中で受け止め直してきました。

夫は、もっと生きたかったはずです。

まだ行きたい場所もあったでしょう。

家族と過ごしたい時間も、きっとたくさん残っていたと思います。

だからこそ今、私は思います。

忘れないことは、立ち止まり続けることではない。

夫との時間を胸に抱きながら、自分の人生も大切に生きていく。

それが、私が夫の「忘れないで」から受け取った、

きゃんばぁば
きゃんばぁば
「生きて」

というメッセージなのだと思っています。

さいごに|あのときの精いっぱいは、きっと愛だった

夫を見送った日のことを振り返ると、今でも胸がいっぱいになります。

振り返れば、「もっとこうしてあげられたのではないか」「ほかにできることがあったのではないか」。そう思うことがないわけではありません。

けれど、あのときの私たちは、その時できることを精いっぱい考え、迷いながら一つずつ選びました。

大切な人の見送り方に、ひとつの正解があるわけではありません。

家族が迷い、悩み、それでも「この人のために」と考えて選んだこと。

その一つひとつは、きっと愛だったのだと思います。

夫の食道がん闘病記は、今回でひとつの区切りとします。

夫を忘れることはありません。

夫の写真を見つめながら、これからの人生を静かに考える女性のイラスト

夫の写真を見つめながら、静かにこれからを考える時間。

悲しい日も、寂しい日も、これからきっと何度もあるでしょう。

それでも、夫と過ごした時間を胸に抱きながら、私は私の人生を歩いていきたい。

夫が生きたかったこれからの時間を、自分まで止めてしまわないように。

ここまで夫の闘病記を読んでくださり、本当にありがとうございました。

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夫に食道がんが見つかった日から、治療、在宅療養、看取り、そして見送りまで。

そのとき私たち家族が何を感じ、どのように過ごしてきたのかを、ひとつずつ記録してきました。

これから書いていくこと

夫を見送ったあとの暮らしや、少しずつ自分の生活を取り戻していく中で感じたことも綴っていけたらと思っています。

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▶ 一般葬を選ぶまでに、私たち家族が何を考え、どう決めたのかは前回の記事に書いています。

▶ 食道がんが見つかった日から読みたい方へ|第1話

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この記事を書いた人

きゃんばぁば|乳がんサバイバー/家族の闘病サポーター

乳がんを経験。義妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えた実体験をもとに、「患者と家族、両方の視点」で発信しています。

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