【妹の病気:第3話】「少しでもいいから家に帰りたい」膵がんステージ4の妹|抗がん剤を続けながら家で過ごせた日々

妹の膵臓がん
※この記事は、妹が膵がんステージ4と診断され、治療を続けていたときの家族の経験をもとに書いています。
※治療内容や経過は人によって異なります。
※治療については、必ず主治医や医療機関にご相談ください。

手術を終えた妹から、LINEが届きました。

「少しでもいいから、家に帰りたい」

短い一文でした。

そのLINEを読んで、そんなにつらいんだと思い、心配になりました。

第2話で書いたように、抗がん剤治療を迷っていた妹に、私は治療を受けることを勧めました。

だからこそ、妹からLINEが届くたびに、体調が悪くなっていないか不安でした。

けれど、「家に帰りたい」という願いは、すぐにはかないませんでした。

病室のベッドでスマートフォンを見る妹のイラスト

離れていても、妹のことを気にかけながら過ごしていた頃。

「あんまり前向きな言葉をかけてくれない気がして」

手術のあとも、妹の体調はなかなか整いませんでした。

すぐには家へ帰れず、体調を見ながら、帰れる日を待つ毎日が続きました。

そんな頃、妹からこんなLINEが届きました。

「あんまり前向きな言葉をかけてくれない気がして」

読んでから、少し考えて返事をしました。

何を返せば、妹の支えになれるのだろう。

支えたい気持ちはあっても、私にできることには限りがありました。

そのことが、もどかしくて苦しかったです。

それでも、妹の味方でいたいという気持ちはありました。

だから、こう返しました。

「私はいつも味方やから。」

自宅でスマートフォンを見つめる女性と、病室でスマートフォンを見る妹を左右に描いたイラスト

離れていても、妹を気にかけていました。

このときは、緩和ケアも受けてみたらどうかな、という内容も返信しています。

当時の私は、がんの治療と緩和ケアは、どちらかを選ぶものではなく、両方を受けるものだと考えていたからです。

それからしばらくして、妹はいったん家へ帰ることができました。

家に帰れたことは、よかったと思いました。

ただ、弟や姪たちにもそれぞれ仕事や事情があり、家での生活は大丈夫なのかな、という心配もありました。

妹の実のお姉さんが来てくれていたこともあり、私はあまり前に出すぎないようにしていました。

支えたい気持ちはあっても、家族の中での距離を考えながら関わっていました。

再入院、そして「もう猶予がない」――初めての抗がん剤

家に戻ったあと、また妹からLINEが来ました。

「体調が悪い。食べていないから、貧血かな?早めに入院します」

妹は、もう一度入院することになりました。

しばらくして届いたのは、この一文です。

「入院してよかったです。輸血しました」

心配でしたが、妹が自分から「入院してよかった」と書いてくれたことに、少しほっとしました。

この入院で、妹は首にポートを入れ、そこから点滴をするようになったそうです。

そして、3月21日。

妹から届いたLINEには、

「もう猶予がないということで、初めての抗がん剤をしました」

とありました。

「猶予がない」という言葉は怖かったです。

それでも、抗がん剤を受けられたことには少し安心しました。

抗がん剤を勧めたのは、私です。

治療が始まったことへの安心と、これからどうなるのだろうという怖さ。

その両方がありました。

初めての抗がん剤治療を受ける妹が、病室で点滴につながれ静かに過ごしているイラスト

治療が始まった日の、張りつめた気持ちと小さな安堵。

初回は80%くらいの量で、2、3日たってから体のだるさが出てきたそうです。

その後、妹は外来で抗がん剤治療を続けることになりました。

「家に帰りたい」と言っていた妹が、家から治療に通えるようになったのです。

「悲しい時は泣きます」

抗がん剤治療が始まってから、妹とLINEで、髪が抜けることについて話したことがあります。

私自身も、乳がんの抗がん剤治療で髪が抜けたときは悲しくて、泣きました。

だから、妹と脱毛についてやり取りしていると、自分の治療中のことを思い出しました。

そのやり取りの中で、妹からこんな言葉が届きました。

「悲しい時は泣きます」

その一行は、届いてすぐに読み返し、その後も何度か読み返しました。

妹から届いた言葉を何度も読み返し、静かに思いを巡らせる姉のイラスト

その一言を、何度も読み返していました。

私はLINEで、

「そうやね。悲しい時は泣いていいよ」

と返しました。

自分の治療のとき、泣いたあとは、少しだけ気持ちが軽くなったからです。

8月に会えた日と、開田高原のとうもろこしアイス

8月の初め、妹と会うことができました。

そのとき、開田高原のアイスの話をしました。

開田高原は、夏になると家族で時々遊びに行っていた、思い出のある場所です。

そこで食べたとうもろこしのアイスが美味しくて、私は大好きでした。

あの日、ほかに何を話したのかは、細かく覚えていません。

それでも、アイスの話をしたことは、今もはっきり覚えています。

普通の会話ができたことがうれしくて、思い出話を一緒にできたことも、よかったと思いました。

病気のことを忘れられたわけではありませんが、その時間だけは場が少し和みました。

同時に、もうこれから新しい思い出を一緒に作っていけないのかなと思うと、悲しくもなりました。

その夏、私はそのアイスを取り寄せて、妹に送りました。

ただ、妹が食べられるのかどうかは少し不安でした。

それでも、そのアイスを少しでも口にできたらいいなと思っていました。

開田高原で一緒に過ごした時間を、少しでも思い出してくれたらいいな。

そんな気持ちで送ったアイスでした。

8月に妹と会って話した時間から、開田高原の思い出ととうもろこしアイスを送るまでを描いた4コマ風イラスト

何気ない会話が、今では大切な夏の記憶になっています。

家で過ごせた日々を、今振り返って

9月の中旬にも、もう一度妹と会うことができました。

手術のあとには、

「少しでもいいから、家に帰りたい」

再入院したときには、

「入院してよかったです」

妹は、どちらの言葉も残していました。

私は今、どちらも、そのときそのときの妹の気持ちだったのだと受け止めています。

今振り返って思うのは、病気になる前に、もっと妹と会って、楽しい時間を一緒に過ごせばよかったということです。

誘ってもらった講習にも、一緒に行けばよかった。

妹がいなくなってから、私にとって妹の存在がどれほど大きかったのか、改めて気づきました。

妹との何気ない時間を思い返す女性と、二人で話していた頃を淡い回想として描いたイラスト

あとになって気づく、何気ない時間の大きさ。

治療のことを考えるだけが、支えることではなかったのかもしれません。

会えるときに会い、話せるときに話す。

会えないときは、何かを送ったり、気にかけたりする。

あの頃の私には、そんなことしかできなかったように思います。

それでも、何か少しでも妹のためにできたらと思っていました。

次のお話

アイスを送った夏が終わり、秋になりました。

10月の終わり、妹は腹膜播種の影響で腸閉塞になりかけ、再び入院することになりました。

そして私は、弟から「余命1〜3か月」という話を聞くことになります。

あのとき妹は、本当に余命を知りたかったのだろうか。

今も、ときどき考えます。

次回は、その頃の妹の様子と、家族として答えの出ないままのこの問いについて書きます。

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この記事を書いた人 きゃんばぁば|がん その先へ

自身の乳がん治療を経験し、その後、義理の妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えてきました。

義理の妹とは長く親しくしていて、私にとっては妹のような存在でした。

このブログでは、患者として、家族として経験したことを、自分の言葉で記録しています。

その後の暮らしや、これからの生き方についても書いています。

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