間質性肺炎との共存
乳がん治療を乗り越えたと思った矢先、新たな試練が待っていました。
乳がん治療の副作用で放射線肺臓炎を発症し、その後も入退院を繰り返す日々。現在も薬は服用中しており呼吸器内科の診察や検査は欠かせません。
そしてステロイド服用によって自由な時間を奪われる生活が続いています。
ステロイド服用と制限のある生活〜薬を継続する理由
間質性肺炎とステロイド薬
間質性肺炎を何度も再燃し入院を繰り返す中で、主治医と相談し、ステロイド薬5mg服用を継続することになりました。
再燃すると20日間の入院は必要になり、その間ステロイドの増量が避けられません。ステロイドを増やすと、副作用も増え、その後1年近くかけて再度減薬を進めなければならないという辛い経験を何度もしました。
主治医は副作用が多いステロイドの減薬を目標に「最終的には薬をやめる」方針を立ててくれていました。
しかし減薬するたび肺炎が再燃し、年に2回ほど入退院を繰り返す状況が続いたため、主治医の勧めでセカンドオピニオンを受けることになりました。
ステロイド継続を決めたわけ
セカンドオピニオンの先生と主治医からは「少量のステロイド服用を継続することが最善」という説明を受けました。
これ以上の入退院や、長期間の減薬治療を進めたり、そしてステロイドの大量投与で服用に苦しむことは避けたいと思いこの方針を受け入れることにしました。
結果、ステロイドによる制限は続きますが、安定した日常を選びました。
ステロイド薬で制限のある生活とは〜10年間の私の日常
ステロイドを継続しながら私は以下の生活習慣を守り続けてきました。
- 人混みを避ける
- 外出時には必ずマスク着用する
- 食事のコントロールをする
- 軽い運動を心がける(無理は禁物)
- 十分な睡眠とり、疲れないようにする
- 所定の検査は年1度必ず受ける(呼吸器内科 眼科 消化器内科 歯医者 診療内科など)
- 薬を飲み忘れない
体力に不安があり、再燃のリスクを考えて仕事は退職しました。
今は自宅で家事をしたり、チワワ君との散歩、大好きな韓国ドラマやSNSを楽しんだりして、穏やかな日々を過ごしています。
間質性肺炎は完治が難しい病気ですが、治療と生活習慣を整え、充実した日常を目指しています。
アクティブだった時間〜制限のある生活〜コロナ禍のこと
乳がんや間質性肺炎を患う前、私は仕事やテニスやゴルフと地域活動そして家事とアクティブに過ごしていました。しかし乳がん発覚後は生活を見直し、食事制限や軽い運動をとり入れました。
間質性肺炎発症後はステロイド治療のため、感染症のリスクが高まり、主治医から外出制限とマスク着用の指示がありました。
そして5年ほどその生活を続けていたある日、コロナがやってきたのです。
高騰するマスク代、主治医から外出制限、連日のコロナ報道に気持ちが滅入ることもありました、
テレビをでは連日コロナの話題が取りあげられていたため、意識的にテレビを控え、もともと好きだった韓国ドラマに没頭することで気分転換を図りました。
コロナ禍における東京での自由な生活
コロナ禍に入って間もなく、娘夫婦の東京転勤をきっかけに、お手伝いのために何度か東京を訪れました。
主治医から「人混みは避けるように」と言われていたので、当初は外出を控えるつもりでしたが、ガラガラの新幹線や都内の空いている状況を目の当たりにし、外食を控えれば行動できると感じ、久しぶりの東京生活を楽しむことができました
10年近く外出制限のある生活を続けてきた中での貴重な外出機会に、東京での思い出ができたことは本当に良かったと思います。現在は、コロナ禍も落ち着きましたが、インバウンドの増加もあり、再び外出は最低限に抑えて過ごしています。
10年間の制限のある生活を終わらせたい〜薬のない生活を目指して
コロナ禍が落ち着いた頃、呼吸器内科の主治医が他の病院へ転勤され、私は薬をやめたい一心で、間質性肺炎専門外来のある他県の病院で治療を受けることにしました。新しい主治医は「ステロイドにはリスクがある」と説明し、減薬に取り組むことになりました。
ステロイドを3mgまで減らすことができましたが、その後、軽い風邪を引いただけで咳が止まらなくなり、長く寝込んでしまいました。この量での継続が決まり、完全に薬をやめることは叶いませんでした。
健康な体に戻りたいという強い思いがありましたが、服用による副作用と肺炎のリスクを天秤にかけ、安定した生活を選ぶことにしたのです。
もちろん健康でいることが一番ですが、病気と共存しながら今できることを楽しみ、充実した日々を送ることもまた幸せな選択かもしれません。
薬は嫌だ!きゃんばぁば