【妹の病気:第4話】余命3ヶ月を告げられて:痛みと向き合いながら希望を見つけた日々の記録

妹の病気

 

※本記事は筆者と家族の体験記です。医療的助言を目的とするものではありません。治療の判断は必ず主治医とご相談ください。

余命3ヶ月。
その言葉を受け取った日から、私たちの時間は同じ速度のまま進んでいるのに、全く別の時間になりました。

痛み、迷い、そして小さな救い。
この記事は、家族として私が何を感じ、どう過ごしたかの記録です。

同じ道を歩く方の、孤独を少しでも軽くできますように。

余命3ヶ月〜告げられてからの日々を、私たちはどう過ごしたか

妹が「後3ヶ月」と告げられたあの日、
私たちの時間は静かに、でも確実に変わり始めました。

 

きゃんばぁば
きゃんばぁば

日に日に強くなる痛み。できることが少しずつ減っていく妹の姿を見るのは、本当に辛い日々でした。

 

主治医からの余命宣告、止まった時間

病院で主治医から告げられたのは「余命3ヶ月」。
私はその報告を弟から受け取りました。

しばらくは何も考えられず、ただLINE画面を見つめていました。

いつもの元気な文面ではない、ぎこちなく弱々しい返信。

短い文章を打つことさえ辛そうな妹の顔が浮かび、胸が締めつけられました。

きゃんばぁば
きゃんばぁば

私は「無理しないでね。痛い時は我慢せず、ちゃんと薬を飲んでね」と送りました。

その返事はたどたどしいく短いもので、病が少しずつ妹の体をむしばんでいるのを感じました。

入院中の妹と交わしたLINE画面のイメージ

妹とのLINE

痛みとの闘い、変わっていく日常

痛みは日ごとに強くなり、昨日までできていたことができなくなる、
その繰り返し。

少し歩いただけで息が上がり、横になって過ごす時間が長くなっていきました。

食べることもできず、ただ痛みに耐えるだけの時間が増えていく…。

きゃんばぁば
きゃんばぁば

どうして神様はこんなにも残酷な最期を妹に与えるんだろう?

妹は、周りにいつも優しく寄り添う人でした。
それでも、こんな辛い時間を過ごさなければならないなんて…。

想像するたび、無力感に押しつぶされそうになりました。

家族を想い続けた妹の姿

「もうこれ以上の治療はできない」。
その事実を受け止めながらも、妹は自分より家族のことを気づかい続けました。

表情や言葉の端々からにじむ優しさを見るたび、

きゃんばぁば
きゃんばぁば

私は「なんとかしてあげたい」と強く思いました。

すい臓がんのお腹の痛み

膵がんが進行すると、がん細胞が周囲に広がることで、お腹に痛みが出ることがあります。
痛みの種類はさまざまです。

膵がんのお腹の痛み
  • 持続する鈍い痛み
  • 食後に強くなる痛み
  • 突然おこる鋭い痛み
    (刺すような痛み)
  • お腹全体に広がるような痛み

腹膜播種(ふくまくはしゅ)が起きると「腹水」や「がん性腹膜炎」が原因でさらに痛みが強くなることも。

一般的な鎮痛薬で和らがない場合は、専門的な緩和ケアが大切です。

実際に妹も、痛みどめが効かない時間があり、とても辛そうでした。

👉夫の術後生活も想像以上に大変でした。
上体を起こして眠ること、腸ろうでの栄養補給、食べることの苦しさ
退院後に役立った工夫をこちらでまとめています。

 

👉 夫の食道がん術後17日間の記録です
ICUでの面会、リハビリの始まり、そして退院までの流れをまとめました。

 

緩和ケアへの入院

在宅療養を頑張っていた妹ですが、お正月、痛みに耐えきれなくなり、家族が準備していた緩和ケア(終末期ケア)の病院へ緊急入院しました。

本人は「家族が大変そうで、これ以上迷惑かけたくない」と言って、入院を選びました。

 

きゃんばぁば
きゃんばぁば

入院した妹は痩せ、まるで別人のようでした。

すぐに痛みのコントロールが始まりました。

弱々しい言葉と、最後のおねだり

家族が体調を崩し、私が2日ほど病院に通いました。

「家族が心配」
「あとどれくらい生きられるか見通しがついた」
…弱々しい声でそう話す妹に、

私は、うなずいて寄り添うことしかできませんでした。

そんななか、妹が「これ持ってきて欲しい」とはっきりお願いしてくれた瞬間、私は少しうれしくなりました。

遠慮がちだった妹の、最後のおねだり。

救われるような気持ちでしたが、同時に
「もっと元気なうちに寄り添ってあげればよかった」という悔しさも込み上げました。

いちごのアイスがくれた笑顔

病院へ行く前、私は電話で聞きました。

アイス、食べられそう?」

「うん、いちごがいい」。
急いで買って渡すと、妹は小さくうなずいてひと口。

美味しい」…
その笑顔は
本当に久しぶりでした。

病室で手を取り合う家族の手元(イメージ)

最後に妹と話せてよかった

自宅で迎えた最期の時間

妹は「最後は家で過ごしたい」と決めていました。

生まれたばかりの初孫に会えることを何より楽しみにして、その願いは叶いました。

赤ちゃんを抱っこできた数日後、妹は家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。

緩和ケアで大切にされていること

緩和ケアで大切にされていること
  • 苦痛の軽減:身体の痛みや不安を和らげる
  • 本人の希望を尊重:どこでどう過ごしたいかを大切に
  • 家族へ支え:看取の準備、介護・心のケア

膵がんが「最も厳しいがん」といわれる理由

理由 内容
発見が難しい 初期症状が乏しく、見逃されやすい
進行・転移が早い 他臓器や腹膜へ広がりやすい
治療が難しい 手術できる人が限られ、薬の効果も限定的
症状が強く出やすい 背部痛・腹水・体重減少など
生存率が低い 全体の5年生存率が10%

参考:日本膵癌学会「膵癌診療ガイドライン」

さいごに:妹が残してくれた生きるということ

きゃんばぁば
きゃんばぁば

妹が旅立ってからも、ふとした瞬間に思い出します。

優しい声、控えめな仕草、可愛い笑顔。
何気ない会話の温かさ…
それは今も、私の宝物です。

ちょうど私が、乳がんの治療を終え「完治」と言われた頃、妹に膵がんが見つかりました。
悲しみと苦しみの日々のなかで、

妹は最後まで「大切に生きる」ことを教えてくれました。

その思いを胸に、私はこれからも彼女と一緒に生きていきます。

最後に…
妹でいてくれて、ありがとう。

「この記録が誰かの孤独を少しでも軽くできたら…
シェアしていただけると嬉しいです。」


※本記事は私と家族との体験をもとにした記録であり、医療行為や判断を代替するものではありません。
受診や治療に関しては、必ず専門の医師にご相談ください。
※掲載している文章・画像の無断転載・使用はご遠慮ください。
この記事を書いた人
きゃんばぁば|乳がんサバイバー/家族の闘病サポーター
乳がんを経験し完治。妹の膵がんや夫の食道がんを家族として支えた実体験をもとに、
「患者と家族の視点」で記事を書いています。
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