余命3ヶ月。
その言葉を受け取った日から、私たちの時間は同じ速度のまま進んでいるのに、全く別の時間になりました。
痛み、迷い、そして小さな救い。
この記事は、家族として私が何を感じ、どう過ごしたかの記録です。
同じ道を歩く方の、孤独を少しでも軽くできますように。
余命3ヶ月〜告げられてからの日々を、私たちはどう過ごしたか
妹が「後3ヶ月」と告げられたあの日、
私たちの時間は静かに、でも確実に変わり始めました。

日に日に強くなる痛み。できることが少しずつ減っていく妹の姿を見るのは、本当に辛い日々でした。
主治医からの余命宣告、止まった時間
病院で主治医から告げられたのは「余命3ヶ月」。
私はその報告を弟から受け取りました。
しばらくは何も考えられず、ただLINE画面を見つめていました。
いつもの元気な文面ではない、ぎこちなく弱々しい返信。
短い文章を打つことさえ辛そうな妹の顔が浮かび、胸が締めつけられました。

私は「無理しないでね。痛い時は我慢せず、ちゃんと薬を飲んでね」と送りました。
その返事はたどたどしいく短いもので、病が少しずつ妹の体をむしばんでいるのを感じました。

妹とのLINE
痛みとの闘い、変わっていく日常
痛みは日ごとに強くなり、昨日までできていたことができなくなる、
その繰り返し。
少し歩いただけで息が上がり、横になって過ごす時間が長くなっていきました。
食べることもできず、ただ痛みに耐えるだけの時間が増えていく…。

「どうして神様はこんなにも残酷な最期を妹に与えるんだろう?」
妹は、周りにいつも優しく寄り添う人でした。
それでも、こんな辛い時間を過ごさなければならないなんて…。
想像するたび、無力感に押しつぶされそうになりました。
家族を想い続けた妹の姿
「もうこれ以上の治療はできない」。
その事実を受け止めながらも、妹は自分より家族のことを気づかい続けました。
表情や言葉の端々からにじむ優しさを見るたび、

私は「なんとかしてあげたい」と強く思いました。
すい臓がんのお腹の痛み
膵がんが進行すると、がん細胞が周囲に広がることで、お腹に痛みが出ることがあります。
痛みの種類はさまざまです。
- 持続する鈍い痛み
- 食後に強くなる痛み
- 突然おこる鋭い痛み
(刺すような痛み) - お腹全体に広がるような痛み
腹膜播種(ふくまくはしゅ)が起きると「腹水」や「がん性腹膜炎」が原因でさらに痛みが強くなることも。
一般的な鎮痛薬で和らがない場合は、専門的な緩和ケアが大切です。
実際に妹も、痛みどめが効かない時間があり、とても辛そうでした。
👉夫の術後生活も想像以上に大変でした。
上体を起こして眠ること、腸ろうでの栄養補給、食べることの苦しさ
退院後に役立った工夫をこちらでまとめています。
👉 夫の食道がん術後17日間の記録です。
ICUでの面会、リハビリの始まり、そして退院までの流れをまとめました。
緩和ケアへの入院
在宅療養を頑張っていた妹ですが、お正月、痛みに耐えきれなくなり、家族が準備していた緩和ケア(終末期ケア)の病院へ緊急入院しました。
本人は「家族が大変そうで、これ以上迷惑かけたくない」と言って、入院を選びました。

入院した妹は痩せ、まるで別人のようでした。
すぐに痛みのコントロールが始まりました。
弱々しい言葉と、最後のおねだり
家族が体調を崩し、私が2日ほど病院に通いました。
「家族が心配」
「あとどれくらい生きられるか見通しがついた」
…弱々しい声でそう話す妹に、
私は、うなずいて寄り添うことしかできませんでした。
そんななか、妹が「これ持ってきて欲しい」とはっきりお願いしてくれた瞬間、私は少しうれしくなりました。
遠慮がちだった妹の、最後のおねだり。
救われるような気持ちでしたが、同時に
「もっと元気なうちに寄り添ってあげればよかった」という悔しさも込み上げました。
いちごのアイスがくれた笑顔
病院へ行く前、私は電話で聞きました。
「アイス、食べられそう?」
「うん、いちごがいい」。
急いで買って渡すと、妹は小さくうなずいてひと口。
「美味しい」…
その笑顔は本当に久しぶりでした。

最後に妹と話せてよかった
自宅で迎えた最期の時間
妹は「最後は家で過ごしたい」と決めていました。
生まれたばかりの初孫に会えることを何より楽しみにして、その願いは叶いました。
赤ちゃんを抱っこできた数日後、妹は家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。
緩和ケアで大切にされていること
- 苦痛の軽減:身体の痛みや不安を和らげる
- 本人の希望を尊重:どこでどう過ごしたいかを大切に
- 家族へ支え:看取の準備、介護・心のケア
膵がんが「最も厳しいがん」といわれる理由
| 理由 | 内容 |
| 発見が難しい | 初期症状が乏しく、見逃されやすい |
| 進行・転移が早い | 他臓器や腹膜へ広がりやすい |
| 治療が難しい | 手術できる人が限られ、薬の効果も限定的 |
| 症状が強く出やすい | 背部痛・腹水・体重減少など |
| 生存率が低い | 全体の5年生存率が10% |
参考:日本膵癌学会「膵癌診療ガイドライン」
さいごに:妹が残してくれた生きるということ

妹が旅立ってからも、ふとした瞬間に思い出します。
優しい声、控えめな仕草、可愛い笑顔。
何気ない会話の温かさ…
それは今も、私の宝物です。
ちょうど私が、乳がんの治療を終え「完治」と言われた頃、妹に膵がんが見つかりました。
悲しみと苦しみの日々のなかで、
妹は最後まで「大切に生きる」ことを教えてくれました。
その思いを胸に、私はこれからも彼女と一緒に生きていきます。
最後に…
妹でいてくれて、ありがとう。
「この記録が誰かの孤独を少しでも軽くできたら…
シェアしていただけると嬉しいです。」
きゃんばぁば|乳がんサバイバー/家族の闘病サポーター
乳がんを経験し完治。妹の膵がんや夫の食道がんを家族として支えた実体験をもとに、
「患者と家族の視点」で記事を書いています。
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