第1章|食道がん
夫から

「がんみたいや…」
と聞いても私はまだ信じられずにいました。
詳しいことは本人もまだわかっていない様子でした。
「食道らしい」そう聞いても、まだ信じられなかった
内視鏡検査の麻酔が残っていたのか、そのときの夫はまだ少しもうろうとしていました。
あとになって、「どこのがんなの?」と聞くと、返ってきたのは、
「食道らしい」
という、あいまいな返事でした。

「短いひと言を聞いても、まだ現実をつかみきれずにいました。」
本当に食道がんなのだろうか。
夫の言葉だけでは、どうしても納得できませんでした。
先生から直接話を聞いて確かめたい。
そう思って、数日後、夫と一緒にクリニックへ行くことにしました。
それまでの間、私は食道がんについて書かれた本を一冊買って、読み耽っていました。
夫はいつも通り会社へ行っていました。
あのとき夫がどんな気持ちで過ごしていたのかは、私にはわかりません。
ただ、「治療することになったら仕事はどうしよう」と、仕事のことを気にしていたのは覚えています。
「きっと何かの間違い。がんじゃないはず。」
そんな気持ちのまま、私は夫と一緒に診察室へ入りました。
先生が見せてくれたのは、夫の内視鏡写真でした。

まだ結果を受け止める準備もないまま、私たちは先生の前に座りました。
写真を見ると、異常がある場所は私にもわかりました。
それでもまだ、心のどこかで「がんではない」と思いたかったのです。
「この部分ががんです」先生の一言で、崩れ去った淡い期待
先生が、内視鏡写真の一部分を指しながら告げました。
「この部分ががんです」

医師の指先が示した一点から、曖昧だった不安が現実へと変わっていきました。
頭が真っ白になりました。
それでも、私の口からとっさに出たのは、

「早期ですか?」
という言葉でした。
先生からは、

「進行がんではないと思いますが、早期とも言い切れません」
と説明がありました。
夫は内視鏡検査を受けたときに、すでに生検を受けていました。
※生検とは、病変の組織の一部を採取し、顕微鏡で詳しく調べる検査です。
その結果が出るのは、2週間後。
結果が出たら、大阪の国際がんセンターへ紹介状を書くという話も、その場で聞きました。
「どうして確認しなかったんだろう」自分を責めた日
夫は以前から、この消化器内科に通っていました。
だから私は、毎年検査を受けているものだと思い込んでいたのです。
けれど実際は、前年の内視鏡検査を受けていませんでした。
そのことを私は、このときまで知りませんでした。

当たり前だと思っていた日常を、一つずつ見直す夜でした。
「どうして、毎年受けているかどうか確認しなかったんだろう」
「病院に通っているから大丈夫」
そう思って、夫に任せきりにしていました。
夫は「治療するしかない」と言い、私は調べ始めた
診察室を出たあと、夫はただ一言、

「がんになったから治療するしかないな」
と言いました。
それ以上、がんについて語ることはありませんでした。
家に帰ると、私はすぐに夫の病気について調べ始めました。

同じ知らせを受けても、夫と私では、その後の向き合い方が少し違っていました。
食道がんについて調べていると、生検やステージなど、聞き慣れた言葉が出てきます。
私自身が乳がんを経験していたため、その言葉の意味は分かっていました。
でも、食道がんのことは何も知りません。
調べていくと、また知らないことが出てきます。
夫のがんがどんな状態なのか、まだ分かりませんでした。
私が調べていたのはもう、
「がんなのかどうか」ではありませんでした。
「がん」と告げられても、まだ詳しいことは何もわかっていませんでした。
次の話では、生検の結果を聞き、夫の食道がんが正式に「悪性」と告げられた日のことを書きます。
そこで私たちは、これから始まる治療について、初めて現実として向き合うことになります。
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自身の乳がん治療を経験し、その後、義理の妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えてきました。
義理の妹とは長く親しくしていて、私にとっては妹のような存在でした。
このブログでは、患者として、家族として経験したことを、自分の言葉で記録しています。その後の暮らしや、これからの生き方についても書いています。
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