2025年6月、夫の食道がん治療が始まりました。
手術で取りきれなかったがんを消すための、追加治療が始まりました。
約5か月の間に、抗がん剤治療3回、手術、術後の抗がん剤治療2回、そして放射線治療28回。
10月で、ひと区切りとなる治療を終えました。
けれど、最後の治療期は、それまでのどの期間よりも過酷でした。
壮絶な闘病の末、私たち夫婦が得た、「生きることをあきらめない」ための7つの具体的な知恵を共有します。
生きることをあきらめない
手術後も痛みが残り、食事が喉を通らない日が続きました…
放射線の炎症で傷口が腫れ、毎日が不安でいっぱいでした。
それでも夫は、治療をやめませんでした。
「もう十分頑張ったよ」と声をかけたくなるほど、苦しい日々を乗り越えてくれました。

2025年6月から10月まで本当に大変な治療ばかりでした。
そんな姿を見て、私も支える覚悟を新たにしました。
強さとは、我慢ではなく、生きることをあきらめない気持ちなんだと感じました。
副作用で体力が落ち、表情にもつらさがにじんでいた夫。
見守ることしかできない日々が、どれほど長く感じられたか、今でも忘れられません。
栄養のためだとわかっていても、辛かった腸ろう
腸ろうからの栄養投与が続く中、夫は「入れると気分が悪くなる」と訴えることが増えていきました。
そして、2回目の抗がん剤治療の入院直前、自ら腸ろうのチューブを抜いてしまったのです。

栄養のためとわかっていても、つらかった。
その後は十分な栄養が取れなくなり、副作用による食欲不振や倦怠感、さらに術後の胸の痛みが重なって、日に日に体が弱っていくのがわかりました。
「翻訳」の役割:家族の支え方
術後2回目の抗がん剤治療で、入院してすぐ夫は看護師さんに一枚の資料を手渡しました。
それは、私が自宅療養中に記録していた体調の変化や、食事の様子をまとめたものです。
家族として、自分にできることは本当に限られていると思いました。
私は「少しでも、治療の参考になれば」と思ってできる形で夫を支えたいと思いました。

自宅での記録を、治療の助けにしてもらいたくて。
医療スタッフと情報を共有することで、治療を安心して続けられるように感じました。
小さなことでも、主観的な「つらい」を具体的な「データ」に変換することが、「寄り添う力」になるのだと、あらためて感じました。
大きな試練、弱っていくからだ
抗がん剤治療を終えて帰宅した夫は、副作用で食欲がなく、日ごとにやつれていきました。

そばにいることしかできなかった日々。
治療の副作用による体調の変化は、本人だけでなく、支える家族にとっても大きな試練です。
それでも、「少しでも良くなってほしい」という思いが私を支えていました。
できることを一つずつ、ただ信じて続けていくしかありませんでした。
衰弱からのわずかな光:クリニックでの栄養点滴
副作用による食欲不振、うつ気味の状態、倦怠感、術後の胸の痛みーー
まるで治療そのものが、体を壊しているのではないかと思うほど、夫は衰弱していきました。
日常生活も思うようにいかない日が続き…

どうか、少しでも楽になりますように。
そんな状態が約2週間ほど続いた頃、近くのクリニックで栄養点滴を受けることにしました。
診察の際に「食欲がない」と伝えると、漢方の食欲増進剤を処方してもらいました。
それを飲み始めてから、少しずつ食べられるようになり、ほんのわずかですが夫の顔に力が戻っていくのを感じました。
この経験が、私たちが後で見直す「7つの気づき」のきっかけとなりました。
この5か月から受け取った 7つの気づき
辛く長い5ヶ月間でしたが、この経験は私たち夫婦に、患者として、そして家族として、「がんとの付き合い方」について多くの教訓を教えてくれました。
特に、「支える覚悟」だけでは乗り越えられない壁の向こうに、私たちを救ってくれた7つの具体的な気づきがありました。
1)痛みは「我慢しないで」のサイン
痛みは「根性で乗り越える対象」ではない。身体からの大切なメッセージ=ストップサイン。
無理を続けるのではなく、立ち止まり、見直すための判断材料。
そして、痛み止めや鎮痛剤を使う自分を守るための正しい選択を。
栄養は理念ではなく現実。「入るものを、入る量で」。その一口が その日の満点。
術後の体力で動ける範囲は狭い。「昨日までの基準」は使えない。時間・外出・食事は再設計して成立する。
「今日は3口たべられた」「夜中の咳が1回減った」この「ミリ単位」の改善が、折れない心になる。
主観は医療者には届きにくい。だから、数値化/記録化/具体語にする。家族の役割は “翻訳”。
「良くなってほしい」も「もうつらい」もどちらも本物。ポジティブを強制しなくていい。
してあげるだけでは折れる。医療、家族、外来、漢方、点滴…「頼る先」を増やすと続けられた。
さいごに

家族にできることは限られていても、そばにいて見守ることは、きっと力になります。
苦しい時期を越えて見えた「少しの笑顔」が、これからの希望につながることを願っています。
次の検査で良い結果が出ることを信じて、今は穏やかな日々を大切に過ごしています。
🔗参考:信頼できる医療サイト
体験談の内容は、私たち夫婦の経験に基づいています。より詳しい医療情報は、以下の公的サイトも参考になります。
🔗関連リンク
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note(有料シリーズ)
👉 第1話 夫が食道がんと告げられて〜ステージ1を信じてしまった私の後悔
👉 第2話 夫の食道がんと向き合って〜「どう生きたいか」を語り合った夜
👉 第3話 夫の治療方針が変わった日〜病院の中で見えた「見えない壁」
きゃんばぁば|乳がんサバイバー/家族の闘病サポーター
乳がんを経験し根治。妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えた実体験をもとに「患者と家族、両方の視点」で発信しています。
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