【第32話:夫の病気】治療の終わり、別れの始まり。「余命」を悟った日と夫婦の決意

夫の病気

希望と絶望が交差した待合室

6ヶ月間に及ぶ苦しい治療に向き合い続けた夫と、そのそばで支えてきた私。

放射線治療後の検査を終え、結果を聞くために病院を訪れたあの日のことを思い返しながら、待合室で診察までの時間を静かに過ごしていました。

病院の待合室で診察を待つ夫婦のイラスト

「きっと良い方向へ進んでいるはず」

そう信じていた気持ちとは裏腹に…。

主治医の口から告げられたのは、私たちが想像もしていなかった言葉でした。

その瞬間。世界から色が消え、耳なりがしたのを覚えています。

診察室で告げられた現実

この日の診察。
私たちは「きっと良い結果が聞けるはず」と、どこか期待しながら待合室で順番を待っていました。

けれど、診察室に入ると先生はほとんど間を置かず、静かな口調で現実を告げました。

診察室で、主治医から検査画像の説明を受け、不安そうに話を聞く夫婦の様子。

主治医が示した画像を前に、 覚悟していたつもりでも言葉を失った瞬間でした。

「術後に残ったがんやリンパ節に対して、抗がん剤と放射線治療を行いましたが、
思うような効果が認められず、がんは大きくなっています。」

骨にも転移があり、骨盤、足の付け根、脊髄にも広がっています。」

その言葉は胸の奥に重く落ち、診察室の空気が一気に変わったように感じました。

これ以上の治療は困難と宣告

先生は静かに、そしてはっきりと言いました。

これ以上、できる治療はありません

診察室で、涙をぬぐう夫と、涙をこぼす妻が並んで座っている。

検査結果を聞いたあと、 言葉より先に涙があふれてしまいました。

夫は深く肩を落とし、
私はただ、その姿を見つめることしかできませんでした。

それでも諦められない気持ち

それでも「まだできることがあるのではないか。」

そんな思いに突き動かされるように、何度も質問を重ねました。

不安な表情で治療法について尋ねる妻。

夫の未来につながる道を探したくて、わずかな可能性にもすがりつくような気持ちでした。

けれど、ゲノム検査は結果が出るまでに2〜3ヶ月かかると言われました。

その説明を聞いた瞬間、
「…ということは、夫はそれまで持たないのでは…」そんな不安が胸の奥で強くうずきました。

最後の希望は最新の免疫療法

先生から「最新の免疫療法を試すという方法もあります。これが最後の治療になりますが…どうされますか?」と尋ねられました。

診察室で、医師の話に小さな希望を見いだす夫婦。

その言葉に、細い糸のような希望が、たしかにつながったような気がしました。

けれど同時に、「緩和ケア病院も探しておいてください」と伝えられ、次の週に相談室に行くことが決まりました。

診察室を出ると、夫は泣いていました。
私は「しっかりしなきゃ」という気持ちが強すぎて、この時は涙も出ませんでした。

車窓に映る景色と、それぞれの涙

治療のために、何度も通った道。

車の窓から同じ景色を眺めながら、

「何度この道を走っただろう…これからも、治療のために通えると思っていたのに」

そんな思いが込み上げてきました。

つらい結果を受け止めきれず、車内で話す夫婦。

ただ、同じ景色を眺めながら、 それぞれの胸の痛みだけが残りました。

夫は「今回が一番ショックだった」と言いました。

私は「つらかったね」と寄り添い、涙をこらえながら、これからの時間を大切にしようと心に決めました。

その夜は、落ち込んだまま気持ちの整理がつかず、ただ静かに時間が過ぎていきました。

でも….「泣いてばかりもいられない」

これからやらなくてはいけないことがたくさんあるのです。

さいごに

未来の見通しが急に変わってしまうことがあります。

思っていた未来が崩れてしまった時、すぐに受け止めることなんてできません。

それでも、変わってしまった未来の形を、これから少しずつ見つめ直しながら生きていかなければならない。

あの日の涙は、その始まりだったように思います。

Q&A:緩和ケアの疑問

Q1.医師が「緩和ケア病院も探して」と告げた意図は?

A.「見放された」という意味ではありません。これからは治療ではなく、生活を支える医療へと備えを進めましょう、という合図でした。それは、痛みや不安を減らし、残された時間をできるだけ穏やかに過ごすために、「どう生きるか」「どう支えるか」を考える段階に入ったという意味だったのだと思います。

Q2「緩和ケア」とは、もう何もできないということですか?

A.いいえ。緩和ケアは、痛みや苦しさ、不安を和らげ、
その人が少しでも穏やかに、安心して過ごせるよう支える医療です。
治療が難しくなったあとも、「どう過ごすか」「どう支えるか」という視点で、生活と気持ちを整えるための医療が続いていきます。

Q3 最終宣告のショックを、家族はどう乗り越えればいいのでしょうか?

A.無理に気持ちを切り替えようとする必要はありません。
最終宣告を受けた直後は、戸惑いや悲しみ、言葉にならない思いが生じるのは自然なことです。診察後の車の中で、同じ景色を見ながら、それぞれが違う思いを抱き、違う形で涙を流した時間は、現実を受け止めるために心が追いつこうとする過程だったのだと思います。

Q4 治療終了を告げられた後、家族がすべき緊急の準備は何ですか?

A.感情の整理より先に、支援につながることが大切です。混乱の中でも、
「どこに相談できるか」「どんな支えがあるか」という視点で、
生活を支えるための情報を整えていくことが、後の安心につながります。病院の相談室(ソーシャルワーカー)などの支援を頼りながら、家族でひとりで抱え込まない体制を整えていくことが重要です。

Q5.免疫療法などの積極的治療と、緩和ケアは同時に受けられますか?

A.はい、同時に受けることは可能です。緩和ケアは、治療と対立するものではなく、
治療中の痛みやつらさ、不安を和らげるために併用される医療でもあります。免疫療法など可能な治療を続けながら「どう過ごすか」「どう支えるか」という視点で、
心と体の負担を整えていく医療が並行して行われることがあります。


本記事は、夫の治療経過の中で「一患者家族として感じた体験」をもとに記しています。症状や対処法、治療の選択については必ず主治医や担当医療スタッフへご相談ください。特定の治療を勧める意図はありません。
患者さんごとに状況は異なります。

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👉 @cansan_bar2

note(有料シリーズ)

👉 第1話 夫が食道がんと告げられて〜ステージ1を信じてしまった私の後悔
👉 第2話 夫の食道がんと向き合って〜「どう生きたいか」を語り合った夜
👉 第3話 夫の治療方針が変わった日〜病院の中で見えた「見えない壁」
👉 第4話  治療中に「妻として聞けなかったこと」とあとで気づいた視点

この記事を書いた人
きゃんばぁば|乳がんサバイバー/家族の闘病サポーター
乳がんを経験し根治。妹の膵がん、夫の食道がんを家族として支えた実体験をもとに「患者と家族、両方の視点」で発信しています。
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